生もと造りの日本酒
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第6話 八代目七右衛門・前半生
井戸爺さんやあ、コーボ。いつもと変わりはないかな?
コーボ勿論、すごく元気だよ!
井戸爺さんそれは何よりじゃ。お前達の異変は、時に蔵をも傾かせる大事に至るでのう。恐ろしい腐造のことじゃよ。 大正三年、六代目が亡くなり、六代目の妹テウの婿じゃった巳之松(みのまつ)が跡を継いで七代目七右衛門となった。六代目には子が無かったので、妹夫婦を養子にしとったのじゃ。 翌年、悪夢は起こった。日本中に酒の腐造が大発生してな、それが二年余り続いた。『大正の大腐造』として知られとる。それまで帝国陸軍軍人で、不慣れな家業に就いて間もない七代目には、為(な)す術(すべ)もなかった。心労から病に伏せってしもうてな、当主を継いでわずか三年目の春、47歳の若さで世を去ったのじゃ。
コーボ可哀想に!残された家族はどうしたんだろう。
井戸爺さんそりゃあ、大変じゃった。何しろ二年続きの腐造で家産は傾き、評判は地に墜ちておる。そして一家の男手は、満15歳になる長男の貞一しかおらんかった。 親族会議の結果、旧制安積中学生だった貞一は、校長に惜しまれながら学校に退学届けを出し、八代目七右衛門を襲名したのじゃ。 八代目にはせにゃあならんことが山ほどあった。まずは腐造の後始末、そして創業以来の『大山』という酒銘も変えねばならなくなった。
コーボえっ!どうしてなの?
井戸爺さん明治に商標登録制度が出来てな、他所(よそ)にもある名前は登録できんのじゃ。そこで八代目は、今までの酒銘と代々襲名しとる七右衛門とを組み合わせて、『大七』の名を考案した。少年はこの名を胸に富士山に登頂し、降りたその足で役所に向かい、大正七年七月七日に登録したというぞ。 若い八代目がしたことは、まだある。『速醸もと』という新しい醸造法の導入じゃ。この製法は明治末年に、国が腐造対策の切り札として開発したのじゃ。時間も手間も、昔からの生もととは比べものにならんで安全確実に酒ができるから、日本中に広まった。当時はこれこそ酒造改良なり、という機運じゃったから、八代目も一所懸命に勉強してこの新製法を覚えた。先進地じゃった秋田の蔵元を訪ねて、教えを乞いもした。 しかしな、速醸もとを研究するほどに、どこか物足りんものを覚えたのじゃ。八代目はこれでは自分の本当に求めるものは出来ん、大七は絶対に生もと造りを捨ててはならんと確信した。いいかな、コーボ。八代目が今に至る大七の礎(いしずえ)を築いたと言われとるのは、この決断にあるのじゃよ。 八代目は丈夫な質(たち)ではなかったが、寝ても覚めても酒造りに打ち込んで、品評会上位入賞の常連となった。今や名声はつとに上がって、昭和元年には念願の大きな仕込蔵を竣工した。ますます自分の理想とする酒造りを追求できるようになった訳じゃ。 その甲斐(かい)あって昭和三年には昭和天皇陛下ご即位式典の御用酒を拝命した。これは大変な栄誉じゃよ。 そして昭和十三年、この頃の杜氏は佐藤與三郎というが、第16回全国酒類品評会において最高首席優等賞、つまり遂に押しも押されもせぬ、日本一の座を獲得したのじゃ。
コーボブラボー!やったね。

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