生もと造りの日本酒
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第1回「江戸時代ゆかりの史跡」
コーボヤッホー、生もと君!これから一緒に僕たちの古里二本松を皆さんに紹介しよう。歴史の宝物が沢山あるんだもの
生もといいとも。早速歩いて行こう。二本松は知っての通り、坂道とお寺が多い城下町だ
コーボ戦国大名の丹羽長秀の孫、丹羽光重公が初代藩主として町を整備したんだよね
生もとそう。城を増改築して箕輪門を造ったり、侍と町人の住むエリアを定めたり。また学芸を好み、中央にも知られた名僧達を招請したそうだ。今も変わらない二本松の原型がこのとき造られたんだ
コーボ奥州街道は本町から竹田坂を越えて大七酒造の前を通ってたんだね。いざ、二本松のお城、霞ヶ城へ出発!
……二人は霞ヶ城の近くへ……
生もとさあ、城の入口にあるこの巨大が石が国史跡の『戒石銘』だ。コーボ君、ここに漢文が彫られているだろう?
コーボム、ム。何て読むの?
生もと『爾の俸、爾の禄は、民の膏、民の脂なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し』 お前がお上から戴く俸禄は、民の汗と脂の結晶である。下々の民は虐げ易いけれども、神をあざむくことはできない、という意味だそうだ。五代藩主丹羽高寛(たかひろ)公が、儒学者岩井田作非(いわいださくひ)の進言によって、藩士の戒めとするため一夜のうちに彫らせた、と書いてある
コーボイワイダサクヒ?台連寺にお墓がある人だね。あそこの高台から大七の酒造がきれいに見えるんだ
生もとそうだね。ちなみに『戒石銘』は大七のお酒の名前にもなっているよ
コーボ石垣と松並木に沿って歩くと、おや、今度は少年剣士の群像が見えてきたぞ。あっ、二本松少年隊だ
生もとこのブロンズ像は文化功労者で二本松名誉市民の彫刻家、橋本堅太郎先生の作品だ。ほら、大七中門の狛犬像も同じく橋本先生の作だよ
コーボ箕輪門をバックに、とても立派だなあ。少年隊を案じるお母さんの像もあるね
生もと戊辰戦争の時、16〜17歳だった会津の白虎隊よりさらに年若い、13〜17歳の少年達が二本松藩や家族を守るために出陣を志願したんだ。西軍に対して徹底抗戦したけど戦力の差は圧倒的で、ついに城は炎上して落城した。多くが壮絶な最後を遂げて、大隣寺には木村銃太郎隊長ら戦死した16人の供養塔がある
コーボとっても悲しい歴史だね。そのときこの箕輪門も焼け落ちてしまったのか…
生もと箕輪門はね、光重公の時代、材料の樫の木に、箕輪村山王寺山のご神木を用いて楼門として完成させたので箕輪門と名付けられたんだ。焼失したけれど市民から再建してほしいという声が高まって、昭和57年に再建された
コーボ市民に愛されたその名前を大七の純米大吟醸は戴いたんだね。さあ、生もと君、箕輪門を通って頂上まで登って行こう!先は長いよ
生もとふう、ふう。この清流は二合田(にごうだ)用水。城の防衛や灌漑のために、算学者の磯村文蔵の指導で安達太良山の中腹から18キロも水を引いて作られた
コーボ江戸時代にすごいよね。段々登り坂が険しくなるぞ…。ここは日本三井戸のひとつ、日影の井戸。もう一息だ
生もとああ、山上に見事な石垣が見えてきた。穴太積(あのうづ)みと言うらしい。あれが国史跡の『二本松城跡』、本丸跡だよ!
コーボ着いたー!二本松が360度見渡せる。絶景かな!

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