生もと造りの日本酒
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ぶるわーず

第1話 「蔵の歴史・地理」
コーボ「井戸爺さん、今日はこの大七がある二本松ってどんな所か教えて?」
井戸爺さん「おお、そうよな。二本松は西に安達太良山、東に阿武隈山地があって、その真ん中を阿武隈川が南北に流れる中通り中心部の少し北にある。丘陵が多く、山頂から眺めると箱庭のように美しい町並じゃ。」
コーボ「冬は寒いよね。」
井戸爺さん「じゃが、盆地ではないから寒さの割には雪が多くない。夏に1日の温度差が大きい典型的な内陸型じゃな。」
コーボ「雷もよく鳴って恐いよ」
井戸爺さん「それが米のよく採れる条件なのよ。酒造りにも好適な。」
コーボ「フーン。そこで太田家はいつから酒造りを始めたの?昔の伊勢の国から来たって?」
井戸爺さん「言い伝えによれば、丹羽侯が二本松城にお入りになった時(1643)に、伊勢の田丸から太田家の三人の兄弟がはるばる二本松にやってきた。兄弟達は、家に伝わる阿弥陀三尊をもって来、一体ずつをそれぞれの家の守り本尊として祀った。太田家は清和源氏の正統で、長男の市左衛門は棚倉藩で家老を務めたこともあったのじゃが、二本松に来てからは、武士ではなく商人として醸造業を始めたのじゃ。」
コーボ「ふーん。どうしてなの?」
井戸爺さん「その頃出来たての城下の町は活気があったし、御用商人として、経済で城主を助ける道を選んだのじゃろう。」
コーボ「その兄弟が大七のご先祖?」
井戸爺さん「まあ待て。醸造業を営んだ次男と三男は、勢州屋を名乗った。彼らの父親である大先祖は太田十蔵重堅といって、一六四七年に亡くなった。宗家を継いだのが次男の太田長左衛門家。そして三男は三郎兵衛家じゃ」
コーボ「二人は一緒に酒造りをしたの?」
井戸爺さん「いいや。長左衛門家は『谷風』という酒の醸造や、味噌醤油の醸造で、領内最高格の商人となった。そして三郎兵衛家は『金時』という酒で栄えておった」
コーボ「どっちが大七のご先祖様?」
井戸爺さん「それはな、この三郎兵衛家から分家して、竹田で創業した太田三良右衛門栄親という人物が、大七酒造の始祖となった。この時宝暦二年(1752)、32才だった」
コーボ「そうそう、それで三代目から七右衛門を襲名するようになったんだよね」
井戸爺さん「よく知ってたなコーボ。幕末に生きた四代目七右衛門定安の時に大いに発展した。何せ大火の時に機敏な対処をしたり、殿様から花梨の木をもらい受けたりしたものよ。」
コーボ「アッ、その花梨って雷が落ちて真二つに裂けた木で、四代目がもう二度と雷が落ちないから雷除けになるって言ってね。今もちゃんと大切にされて生きているんだよね。」
井戸爺さん「そうじゃ!その後も、語りたいことは沢山あるが…。そうよのう、やはり八代目七右衛門の時代が重要じゃの。大正6年、七代目が急逝して、旧制安積中学を中退して満15歳で家督を継いだ」
コーボ「エーッ?わずか15歳で?」
井戸爺さん「ああそうじゃ。だからその後は灘、秋田の銘醸地を訪ねては酒造りの研鑽に励んだ。色々な意味で転換期の時代、近代の大七酒造の礎を築いた人物じゃな。」
コーボ「その時、それまで『大山』という名を、七右衛門の七を取って『大七』と変えたんだよね。」
井戸爺さん「その通り。明治末には簡便な速醸 が発明されたが、八代目は自らの酒の理想を追求して生もとを守り続けた。」
コーボ「それが昭和13年の第16回全国清酒品評会で、最高首席優等賞、つまり日本一を獲得した」
井戸爺さん「そして、名酒大七の存在は全国に知られるところとなったわけじゃ」
コーボ「その生もとへのこだわりこそが、現在も大七を大きく特色づけているんだね。井戸爺さん、僕たちこれからも、頑張ろうね。エイエイ、オーッ!」

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