生もと造りの日本酒
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第1話 太田家の三兄弟
コーボ「もう秋だなあ。こんなに星が澄んで…。この星々の中に大七のご先祖もいるかな…。ん!何だか目が冴えてきちゃった。そうだ、井戸爺さんに話を聞きに行こう。」
井戸爺さん「おやおやコーボ。こんな夜にどうしたんだい?」
コーボ「ねえ、大七はいったいどんなふうに始まったの?」
井戸爺さん「そうじゃな。始めにまず三人の兄弟がおった。おおかた四百年近く昔のことじゃ。兄弟名は太田市左衛門、源兵衛、三郎兵衛。彼らはもともと、江戸城を築城したことで有名な太田道灌の流れを汲む清和源氏の武士の家系で、伊勢の国から東国をめざしてやってきたと伝えられておる。彼らは家に伝わる阿弥陀三尊像を携えて、遠い遠い東国をめざしたのじゃ。」
コーボ「どうして東国をめざしたの?」
井戸爺さん「さあな。わしの生まれるずっと前のことだ。全ては伝承じゃよ。さて、いつの頃からか彼らは酒造業を始めた。多分、戦で主君を失ったために、商業の道を選んだのじゃろう。そのころ酒造業は誰でも出来ることじゃない。殿様からの営業特権が必要じゃった。彼らは、関東の常陸(ひたち)の国で丹羽(にわ)侯と出会い、丹羽侯の国替えにどこまでもついて行く、丹羽侯の門閥商人となったのだ。 そして寛永年間、今から360年余り前のことじゃが、彼らは丹羽侯と共に新天地の二本松藩に辿り着いた。これが全ての始まりじゃ。」
コーボ「ふーん、そうだったのかあ。」
井戸爺さん「本当は三人の父親の太田重堅十蔵(おおたしげかた)が初代大先祖なのじゃが、彼は二本松に着くと間もなく病気で死んでしもうた。 その頃の二本松の町は小さくてな。丹羽侯の仕事はまず、城下町を大きく作り直すことじゃった。三人の兄弟にも大事な仕事が与えられた。長男の市左衛門は城下の六町の一つに屋敷を構え、町の衆に年貢や諸役を割り振る割元の役を、次男の源兵衛、三男の三郎兵衛はそれぞれの拠点に屋敷を構えて酒造業を営んだ。 三人は持ってきた阿弥陀三尊像を分けて、それぞれの家の守りとした。」
コーボ「その像って、今でもあるのかな?」
井戸爺さん「あるともさ。わしはまだ見たことが無いがな。 さて、下の兄弟二人は伊勢にちなんで「勢州屋」と名乗った。次男家の酒銘は「谷風」、三男家のは「金時」といった。この頃の酒屋は今と違って、真夏以外は一年中、酒造りをしていたそうじゃ。後に「寒造り」が主流になっていくがな。彼らの酒造業は大いに繁盛したので、やがて次男家が太田三兄弟の宗家の役割を果たすようになった。 次男家はその後代々、太田長左衛門を襲名した。「苗字帯刀・永代郷士」に任ぜられ、つまり侍に準じる身分じゃな、城下有数の豪商に発展していったそうじゃ。弟も負けてはおらん。三男家の四代目、太田三郎兵衛好重の時代には兄を凌ぐほどの勢いだったそうじゃ。そしてな、コーボ、よくお聞き。大七の創業者はこの三郎兵衛好重の子だったのじゃ…。 おや、鈴虫の声も止んでしまった。虫たちももう、寝る時間じゃ。コーボ君もそろそろおやすみ。続きはまた、話してあげよう。」
コーボ「ありがとう、井戸爺さん。今日はとても楽しかったよ。それじゃ、おやすみ。」

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