安積郡日出山遠藤儀右衛門の子で、太田家を継いだ四代目は家業を大いに隆盛させ、最も財を築きました。公的にも町年寄並の褒誉を受け、公職につくなど活躍し、殿様を始め武家との付き合いも広かったと伝えられています。
こんなエピソードがあります。
当家酒蔵のある竹田町は過去2度の大火に見舞われていますが、万延元年の大火は焼失戸数六百五十八戸という大火災となりました。この時、四代目は藩内の武士と土湯温泉へ湯治に行く約束をしていました。こんな折りに行かなくてもと止める家族に対し、武士との約束は守らねばならぬと悠然と出掛けた四代目は、土湯街道あたりで、まだ二本松大火の情報が伝わる前に大量の材木を買い付けました。そのため当人が帰るより早く、太田家の焼け跡には山のように材木が届いたため、再建は最も早かったそうです。
また四代目は、殿様の別邸にあった花梨の巨木が、落雷で半身が大きくえぐられた形になったのを九代丹羽長富侯より戴いてきました。雷が一度落ちた木には二度とは落ちないだろうと験を担いだのと、「金は借りん」という意味を込めて、「外に樫(貸し)」「内に花梨(借りん)」を太田家の家訓とし、この花梨を中庭に植えたのだといいます。この花梨は現在もそびえています。
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