生もと造りの日本酒
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第2話 創業者、三良右衛門(さぶろうえもん)
コーボ「井戸爺さん、今日は大七の創業者のことを話してくれる約束だよ」
井戸爺さん「そうじゃったな。大七の創業者は、太田三兄弟の三男の家系の四代目、太田三郎兵衛好重(よししげ)の子として享保六年(1721年)に生まれた。名を太田三良右衛門栄親(よしちか)という。 父、好重の営む造り酒屋はとても繁盛してな、当時は宗家の長左衛門(ちょうざえもん)家を凌ぐほどの大店(おおだな)じゃった。三良右衛門は長男ではなかったから、いずれ独立するか、残って兄を助けるかの道を選ばにゃあならん。三良右衛門は、本町の酒造業者で、藩の御用酒「老松(おいまつ)」を醸造している今泉家の娘を娶(めと)り、やがて息子も生まれた。そして三郎兵衛家を継ぐ兄夫婦にも子が誕生して家がますます繁栄していくのを見、今が潮時と分家独立を決意した。宝暦2年(1752年)、数え32歳のことじゃ。 当時、毎年豊作が続いておったから、商売は活況を呈して独立にはよい時期じゃった。 三良右衛門は酒造株を手に入れると、竹田町内で良質の井水が得られる、観音丘陵を背にした竹根通り南側に、間口八間の土地を購入した」
コーボ「酒造株って、何?どこかに生えているの?」
井戸爺さん「ハハハ、酒造株とは酒造業を営む権利のことじゃ。二本松藩が発行した鑑札は『酒箒(さかぼうき)』とも言ってな、木の板を徳利の形にくり抜いたものに、許可された者の名や使っていい酒米の上限などが記されておった。酒箒一本、二本、というのが造石高と税金の額を表すわけじゃ。また、酒造道具も焼印を押して許可された桶以外のものは使えんかった。 酒屋の分家に当たって必要なものは沢山ある。おそらく三良右衛門は、本家の父、三郎兵衛好重の援助に頼ったことじゃろう。蔵人および使用人の幾人か、そして酒道具の分与を受けて独立したのじゃろうなあ。 当時はもう、寒造(かんづく)りが主流になっておったから、独立は冬からの仕込開始に用いる米が収穫された秋のことじゃ。酒銘は、「大山(おおやま)」といった」
コーボ「なぜ「大山」なんだろう?」
井戸爺さん「日本一の山、富士山にちなんだのかも知らんし、酒造りの神様である酒解神(さかわけのかみ)を祀った大山に由来しているのかも知らん。本当のところは何も伝わっておらんのじゃよ。 三良右衛門が独立する頃、一族の宗家、長左衛門家では田丸という武家から養子に入った二歳年上の長左衛門豊春(とよはる)が、目を見張るような活躍をしておった。長左衛門と三良右衛門は、お互いによく協力しあって、まるで兄弟のようじゃったそうじゃ。 コーボや、初代の肖像画を見たことがあるかい?苗字帯刀を許された老舗の若旦那の筈が、何とも厳しい表情をしとる。質素な黒の羽織と薄墨色の着物をまとってな。初代はとても信仰篤いお人だったそうじゃ。肖像画には善性寺(ぜんしょうじ)十九代住職による賛が書いてあるが、「心鏡元明不受埃」、その心は生まれつき清らかであって、穢(けが)れなど受け付けぬ人だったと言われておる。だからこそ、こうして初代の興した家業は続いておるのじゃろうな…。おや、どうした?」
コーボ「お祈りしてたんだよ。ご先祖様、ありがとうございます!僕らも正しい心でがんばるぞー」

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