近代製法の酒とは質的に違なる味わい深さを生み出す「生酛造り」。
製法による違いは精米歩合などによる違いより、ずっと大きいと私たちは考えます。
生酛造りには非常に多くの複雑な工程があります。
生酛造りとは
〜主な3つの工程〜
生酛造りとは、1700年頃に確立した日本酒の最も伝統的かつ正統的な醸造法です。大桶での発酵に必要な酵母を、あらかじめ小さな桶で育てる工程を「酛」ないし「酒母」といいますが、生酛造りでは、自然の微生物の生存競争を利用しつつ、熟練を要する複雑な工程と通常の三倍もの時間をかけて、精強な優良酵母を純粋に育てあげます。ここではその中の代表的な作業である「仕込み」「酛摺り(山卸)」「暖気入れ」の3つを実際に映像で見ることができます。
仕込み
優良な酵母を集中的に育てる工程を「酛」といい、その最も正統的な手法が「生酛」です。
生酛の「仕込み」は、まず酛麹、蒸米、仕込み水を、半切り桶(はんぎりおけ)という口が広く浅い桶に一定量ずつ入れ、よくかき混ぜます。1回に、半切り桶8つ仕込みます。
酛摺り(山卸)
生酛造りならではの工程「酛摺り」です。「山卸(やまおろし)」ともいいます。
蕪櫂(かぶらがい)という道具を使って、蒸米と麹をペースト状に丁寧に摺りつぶします。
8枚の半切り桶に対し、それぞれ一番摺り、二番摺り、三番摺りと三回にわたって行います。
(現代の詠唱隊の酛摺り唄はこちら)
暖気入れ
「暖気入れ(だきいれ)」は、暖気樽(だきだる)という湯たんぽのような道具を使って温度を高め、微生物の動きを活発にします。8枚の半切り桶で丁寧に摺りつぶした酛は、壺代(つぼだい)という1本の小タンクに集められます。暖気樽によって少しずつ酛の温度を上げていき、乳酸菌を育て、乳酸を生成させて雑菌を淘汰します。ここに酵母を添加すると、力強い酵母が純粋に育っていきます。やがて酵母自身が十分な熱を発するようになり、暖気入れ作業は不要になります。
生酛造り、微生物の神秘
生酛造りのタンクの中で起こる
微生物のドラマ。
合戦前夜
優良な酵母を集中的に育てる工程を「酛」といい、その最も正統的な手法が「生酛」です。酛タンクの中には、蒸米、麹、仕込み水が混合されています。低温で栄養分も少ない最初の段階は、まさに微生物たちの群雄割拠。その中で頭一つリードして勢力をふるうのが、硝酸還元菌です。硝酸還元菌は仕込み水や米から入り込んで、水に含まれていた硝酸塩を還元して亜硝酸にし、これで他の微生物を攻撃します。しかしタンクに侵入していた産膜酵母や野生酵母たちは、まだ決定的なダメージは受けておりません。
世界を制した乳酸
そのうちに温度が上がって麹が少しずつ栄養を作り出すと、空気中や麹から入ってきた乳酸菌が活動を開始します。乳酸菌は糖分から乳酸を生成しはじめます。ほとんどの微生物は乳酸の酸性が苦手です。はじめに勢力を誇った硝酸還元菌はもとより、しぶとく生き残っていた産膜酵母や野生酵母たちも、亜硝酸と乳酸のはさみ撃ちにあって全滅します。こうして乳酸菌は、自分のつくり出した乳酸によってタンクの世界を制しました。
そして誰もいなくなった
しかし、これで、乳酸菌の天下が到来したわけではありません。乳酸菌は自分のつくり出した乳酸の過剰な酸性に耐えかねたのか、はたまた新しい覇者より未知の攻撃を受けたのか、急速に姿を消してしまいます。さてこの後、このタンクを制するものは現れるのでしょうか?
酵母の天下統一
新しい覇者になるのは酵母でした。酵母は亜硝酸が苦手で、硝酸還元菌がいる間は身を潜めていますが、今やこわいものはありません。乳酸に強い性質をもつ酵母は、雑菌の生きられない酸性環境の中でも糖分を食べて強くなり、どんどん自分の仲間を増やしていきます。そして実は、酵母の作るアルコールが乳酸菌を滅ぼしてしまったのです。こうして、試練に耐えて勝ち残った強い酵母だけが、驚くべき純度で天下統一を実現したのでした。
まだまだある生酛造りのメリット
圧倒的な純度の高さ
各種の酒母製造法の中で、伝統的な生酛が最も酵母の純度が高いのです(ほとんど100%)。
速醸酛では最初に添加する乳酸液によって雑菌を死滅させますが、乳酸が次第に分解されて薄れた後に侵入する野生酵母に対しては阻⽌力がありません。これに対し、生酛には野生酵母が侵入しても淘汰する仕組みが出来ているためです。
驚くほどの生命力
生酛の酵母には、驚くほどの生命力があります。醪では低温でもよく発酵し、しかも普通の酵母ならへばってくる醪末期になっても死滅率は低いままです。本醸造の場合、最後に高濃度のアルコールを添加しても発酵が⽌まらないことには酒造技術者も驚嘆します。この強さがあればこそ低温長期醪が可能となり、高級酒の製造に非常に適しているのです。
熟成により魅力が高まる
生酛で造られた酒は、時間の経過による品質劣化が少ないのが特徴です。熟成の速度がゆっくりである上に、成分に抗酸化性があって劣化しにくいと言われています。逆に言えば、熟成によってますます美味しく成長していくのです。
香りが長持ち
香り豊かな酒であるためには、香りの成分自体と、香りを引き留める保留物質の両方が必要です。後者が⽋けていると、香りはすぐ飛散して無くなってしまうのです。生酛の吟醸酒には香りの保留物質が豊富で、香りを長く保つことができます。
大七で初めて発見された乳酸菌の特殊な酵素
東京農業大学の吉澤淑教授の研究によれば、大七の生酛の酒母から分離された5種の乳酸菌の内、1種はこれまで発見されていなかった特殊な酵素を有していました。この乳酸菌が、他社の生酛とは異なる大七ならではの個性を形作っていると考えられます。
その特殊な酵素とは酸性アルギナーゼ。これまで中性ではたらくアルギナーゼは知られていましたが、酒母のような酸性で低温の環境ではたらくアルギナーゼは初めてです。この酸性アルギナーゼが、嫌な苦味のあるアルギニンというアミノ酸を分解してしまうため、酒質のバランスが良くなる効果があります。
またこの酵素の働きでアルギニンがゼロになる結果、大七の酒では有害なカルバミン酸エチルが生成されません。その仕組みは以下のとおりです。
- 醪初期から、酸性アルギナーゼが醪中のアルギニンを分解し尿素をつくる。
- 酵母がそれを消費し、醪に残る尿素が少なくなる。
- 有害なカルバミン酸エチルが生成されない。
しかもアルギニンが存在しないため、乳酸菌のアミノ酸代謝に変化が生じ、高級エステルなどの香気成分を乳酸菌が生成していることも判明しました。まさに良いことずくめの「大七乳酸菌」です。