シリーズ:郷土の宝物語

第8回「大七の野立て看板」

コーボ 郷土の宝と言っちゃ何だけど、今日は昔懐かしい『酒は大七』の野立て看板の話だよ。生もと君は知ってるかい?
生もと もちろんだ。遠い山の緑を背景にして、白い巨大な切り抜き文字の『酒は大七』が、くっきりと映えている光景は僕にも懐かしい
コーボ あれってどのくらい大きいんだろう?
生もと 大きさは実は2種類ある。田んぼの畦道(あぜみち)に雑木林を背に立っているものは一文字4m角。そして遠い山の中腹に立っているものは、一文字6mもあるんだ!
コーボ 6m!人の背丈の約4倍じゃないか。山の中腹の車も入れない急斜面の森に、どうやって立てたの?
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生もと 今じゃ考えられないけど、当時の大七社員達が材料を背負って山を登ったんだよ。あの看板は自分達で建設し、自分達で管理していた
コーボ 当時って、最初の看板はいつ頃作ったの?
生もと 今から80年以上昔の昭和10年だ。大七の先々代当主の八代目太田七右衛門が、福島日産自動車販売さんから福島県第一号のダットサントラックを購入したのが始まりだよ。このトラックに資材を積んで地主さんに交渉し、次々看板を立てていった。当時は小型トラックが珍しかったので、いつの間にかトラックの荷台に近所の子供達が鈴なりにぶら下がっていることもしばしばだったらしい
コーボ ふーん。その光景、目に浮かぶよ。でも八代目はどうして看板を作ろうと思い立ったのかな
生もと そこには八代目の特別な思いがあるんだ。戦前戦後の物不足の時代には、宣伝費を使わなくても何でも売れた。それに安住する造り手は努力をしなくなる。しかし八代目は必ずまた銘柄の評判で指名されたりされなかったりする時代が来ると信じたんだ。だから一生懸命品質を磨き、名前を浸透させる努力をした
コーボ そうそう! 『名前は相続税のかからない財産だ』という八代目の名文句があったね
生もと 今でいうブランディングだね。『酒は大七』の野立て看板は、東北本線を始めとする電車の車窓や幹線道路沿いによく見えた。風景が変わる度に出てくるから、看板を見つけて数えることが子供の遊びになったくらいだ。当時は東北の風物詩のように、『あれを見ると東北に帰って来たと感じる』と言う人も多かった
コーボ へぇー、看板は幾つくらいあったの?
生もと 一番多いときで250箇所以上だ。北は岩手県南部から南は埼玉県まで。SLが白い煙をもくもく吐いて『酒は大七』の看板がある山の前を走っている白黒写真が幾つもあるよ
コーボ すごいや。でも今は大七の看板、あんまり見ないね
生もと 時代の変化がある。かつての山は切り開かれて新幹線や高速道路が建設されたし、雑木林も住宅地に変わっていった。看板が背景にしていた自然の野山はますます少なくなっていったんだ。それで大七は決断した
コーボ えっ?どんな決断したの?
生もと 皆さんに親しまれた野立て看板は20世紀で役割を終えたと考えて、今世紀に入ってからは思い出の数個を残し、計画的に撤去していった。これが大七が考える、今の時代に相応しい自然との共生だ
コーボ そうか。懐かしいのどかな風景は、皆さんの思い出の中に今も生きていると思うな
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